備前陶苑

hirunesai2009-11-21

急に備前を遠く感じる


24時に遅勤が終わり、ごそごそ

朝5時過ぎ陶苑さんが

11/20をもって閉店した事を知る

うすうすは感じていたけれど、どこかで それでもという想いもあった

こんなに急だとは


鵜飼谷で風呂に入り

陶苑さんへ

webは閉店しても、もしかしたら実店舗のほうは営業されているかも・・・


シャッターは下りているが、入り口だけ開けられていて車が2台

中に入ると、店長さんが、ごめん と

奥には原田社長さんが来られている

事務所に入れて頂き、お話に加えていただく


(原田社長さん)

ちゃんと焼き〆られたものは芯から焼けている

焼きこまれたものは色が中から出ているよう


1,2日(200束=6万程)余計にしっかりと焚けば

窯の半分程は焼けが良くなる

薪を減らせば単純に経費削減になるが

良い焼けのものが減ってしまい、結果としてコストダウンになっていない

200束の投資で損して得を取る事が出来る


ねらし期間は同じでも温度を上げ下げしながらじっくりと上げていき

焚く期間全体を長くすれば、焼けが違う


仕入れの時は手前の方の新しいものではなく

倉庫の奥の方から

10年、15年前は経費を掛けてしっかり焼かれていたものが多い


陶陽先生の技術

型、轆轤、細工物

生活が大変だったので何でも作った


啓先生の轆轤


人間国宝の影響


厳しい業界を生き抜いてこられた経営者としての目

その中で鍛えられた繊細さ

子供の頃からごく身近にあった、雑器としての備前


桃山に焼かれたものはほとんど( 9割!!)が雑器

大窯で60日

甕の中にも棚板を組み、しっかりと窯詰めされていたので

蓄熱量が多く、徐冷速度もゆっくりだった


陶岳先生も大窯で最初の頃、徐冷が上手くいかず

たくさん割れてしまった

今は徐冷時に追い焚きをされている


昔の土で出来た窯は壁が分厚かったが軽かった

耐熱煉瓦は温度が下がるのが早い


今は都合の良い桃山

勝手な桃山


安いから弟子を取る

昔は20年くらい勤めてから独立していたが今は3、4年


パソコンは初期から

IBMの机くらいの大きさのもの

500万ほど

六べえさんもほとんど御自分で


趣味の船の模型作り

日本の船は竜骨が無い

だから嵐に会えば沈まずにバラバラになってしまう

しかしそのお陰で、木に掴まっていれば何処かに漂着して助かる


焼き物屋のリズム

酒屋のリズム

現代のスピード


小川先生とは先生が小さい窯の頃からのお付き合い


備前焼は 土と焼けとデザインと



(店長さん)

六さんの轆轤

最初の頃の電動轆轤は回転速度が一定

ベアリングがぶれていたのか


原田拾六先生

昔の醤油倉に土を保管していた

醤油の酵母が良いのでわ ? と皆真似をしてみたが・・


備前の中には表面の焼けが甘くても芯がしっかりと焼けているものがある

骨董屋で骨董屋が他の客に

こりゃあ古りぃもんじゃけぇ、表面の色が落ちとんじゃあー

(こいつぁ何をよんなー) と驚いた


五一郎先生の窯焚き

下げたのか ?

それとも温度を上げるのに時間が掛かる焚き方をしていたのか ?


五一郎先生、拾六先生

焼き〆る事の楽しさ


澁田先生の‘土’の苦悩

昔と同じ土は無い !

自分の土を作るのに20年、30年かかる


鶴首の線は同じだが、作った人が違う

プロデューサーが居たのではないか

宗教的な儀礼に用いられたのではないか と

澁田先生が話されていた事


焼き、〆る

今は〆ると焼くを別々にする技術がある


美濃のような大量生産の備前

釉薬のような黒備前

土を自分で作らない人


やはり備前では土味が残るんじゃないか


残ってもらいたい


焼き〆

中の方に荒い土が

外に細かい土が押し出されている


作家さんへの想い

共同窯

陶商として

娘さんのブログ


30歳の時お父様が亡くなられた

酒屋のことは何も分からない

そんな時お得意先の爺様から

「明日酒を30本持って来い」

「あんた何よんでぇ、明日は葬式じゃが・・・」

「こういう時はとにかく動くんじゃ」



客として時には友人のように遇して頂いた

貴重なお話を惜しげも無く話して下さり

貴重な御縁を頂いた

それ以上に、多くの温かいものを頂いた

ほんの一年程だったけど

備前陶苑の客であった事を誇らしく思う