安田龍彦さん窯出し ’15

hirunesai2015-08-08

スミレはただスミレのように咲けばよいのであって

そのことが春の野に

どのような影響があろうとなかろうと

スミレのあずかり知らないことだ

( 春宵十話 岡潔先生著 のはしがきより )


今日の遅勤を済ませれば、明日からはお盆休み !

だがその前に、なんと !

本日より安田龍彦さんの窯出し展示 !!

なのです !!


いつもより早目に目覚め、ひとっ風呂

佐伯へと向かう

13時前、安田さんの御自宅の工房に


挨拶の後に少し今回の窯のお話など

昨年同様に今迄より 1日長く焚かれ

窯詰めも 2,3日長くかけられたとか

それからいつもより多くの作品を窯詰めされたそうです

そしていつもよりも少し還元が掛かったこと

季節的な湿度、なども重なり

焼けの雰囲気は潤いを含む落ち着いた色味のものが多い感じでした

そんな感じなので、お話を伺っている時から

内心悶絶状態 !

もう気になる、気になる

特に酒器類は形、焼け共にヴァリエーションが増えておりまして

本当に悶絶 !


今回は青備前も狙われ、いつもと違う窯詰めをされたそうで

青は狙い通りにいかなかったものの

中々に面白い焼けのものがありました

中でも桟切りもので抜けとのコントラストが強い徳利

これが可也面白い焼け・・・・だったそうです

既に売れておりました orz

見たかった

それでも他の徳利も良い焼けのものが多く

今回は選ぶのにいつも以上に悩む悩む

手に取っては悩み、悩んでは眺め、眺めては悩み、悩んでは手に取る

もう、これのループ

そしてループの末に瓢の徳利

― 酒器揃えなので同じ様な焼けで彫りと鎬の入ったぐい呑みとセット ―

を頂きました

土は伊部保育園の近くの土 ( 土屋さん曰く下り松 ?? ) だそうで

仄かに赤味を帯びた抜けに濃い緋襷と濃い緋色の強いコントラスト

そこにグレー、黒の桟切り

この強いコントラストも素敵なのですが

オイラが魅かれたのは桟切りとは反対側の面の形

仄かな赤味に濃い緋襷が 2本

真ん中辺りから下方向に掛かっているのですが

生意気を承知で書かせて頂きますれば

この緋襷さえ無くても良いのではなかろうか ? とさえ思わせる、形

今迄の安田さんの瓢とは違うタイプの形で

穏やかな仏様の様なやさしいお姿に魅かれたのです

好いです、とても


瓢徳利の酒器揃えの他に頂いたもの

黒く焼ける土の酒器

今回の窯の若干の還元と湿度、詰めた場所の温度で

しっとりとした照りの緋色と落ち着いた黒色

マットな黄胡麻に焼き上がげられたもの

ビアマグ

土は黒く焼ける土で地は落ち着いた紫蘇色

そこに黒、グレーの美しい桟切りが全体的に掛かるもの

酒盃

全体的な白胡麻に少し赤みの利いた緋色

外側のマットな白胡麻

見込みの薄い茶色のビードロが轆轤目に沿って流れる

そして高台には 5つの目跡


全部で 20000円のところを18000円にして下さいました

いつもすみません、ありがとうございました


今回の窯は本当にいろいろなチャレンジをされた御様子で

前述の様に定番の物を新たに取り組み直されたり

備前にチャレンジもされ

注文で受けられた鰐口の花器を手掛けられたり

水簸された土で磨き手の黒の棗を作られたり

( この棗、当然ながら漆とはまた違った質感です ! )

新たに鉄分の多い香登の土を使われたり


因みに土は現在 60〜70 t 程あるそうで

窯元さんで働かれていた折のボーナスは

全て土代に使われたとか


陶岳先生の大窯のお話

安田さん薪運びのバイトに行かれたそうです

鏡はフォークリフト

小割りが所謂大割りサイズ。因みに小割りでも長さが 1m 程

甕の中に詰めて焼かれたものは降る様な胡麻が品良く

良い焼けに焼き上がる

陶岳先生は大きな甕を中心に作られているので

陶岳先生のお弟子さんの作られたものも結構入っている


窯詰めの折のお話

窯詰め中作品が足らなくなり

他の作家さんの作品を詰められることがあるそうです

が、他の作家さんも自分の窯の窯詰めの時に

作品が足らなくなってしまうので、声を掛けても

そんなには持って来られないのだとか

やはり当然と言えば当然のことながら

窯焚きにはそれだけの神経を使われているのでしょうねえ

安田さんは昔、窯焚きが終わった直後に

倒れられたことがあったそうです

学生時分から朝礼で倒れ慣れをされているので

然程の大事には至らなかったけど、手間返しできて下さった方々の

見送りも出来なかったとか


安田さん御自身は

作風として江戸時代の作風があっていると感じられているそうで

安田さんが江戸の備前の作風をどのように捉えておられるのか

詳しく伺ってはいないので、飽く迄個人的に感じている

江戸の作風を元に書かせて頂くしかないのだが

他の美術工芸品と同じく小さく纏まり過ぎていて

大らかさや覇気に欠ける嫌いもあるが

細やかで品が良く使う者のことを考える、深い職人的な技術

高い教養と玄人的な好みや遊び心、粋、瀟洒

− 玄人的 − つまりは一人の成熟した人間としての心のゆとり

といったところだろうか

上っ面な物ばかりが持て囃される現代においては

安田さんの目指すところは、ご苦労の方が多いのではないか

寧ろご苦労ばかりではないのかと僭越ながらも考えてしまう

こちらが伺えばいろいろと教えて下さるが、敢えて

技術をひけらかす様なことはなさらないし

生活の為には当然売れるものも作らねばならないが

そういった時にでも技術的な部分の軸をぶらす様なことは

おいそれとはなさらない

寧ろ心のどこかで許さないのではないか、という気さえしてくる

そういう‘ 気迫 ’ は安田さんのお人柄の中で

職人的な技術やヒューモアに昇華され見え難くなる


魂は見ることが出来ない、だが必ずその形に現れる

我々はほんの少しでもその魂を見ることが出来るように

目を磨かねばらない


安田さんありがとうございました