矛盾を矛盾として矛盾のままに

Temple の

Dialogue  光岡英稔さんとの対話/武術を通じて 「 いのち 」 を知る

( 小出遥子さんによる光岡さんのインタヴュー記事 ) を拝読して

光岡さんの凄い、といいますか凄過ぎるお考えを

オイラがなんとか、自分なりに理解してみよう と

勝手に考えて勝手にまとめてしまった こと

 

自分 = 魂 があるから

こころ、身、身体、思考を感じることが出来る

つまり こころ、身、身体、思考を感じられるということは

それらは、他者 である

こころ、身、身体、思考を他者であると感じることが出来るから

自分 = 魂 の存在が分かる

そしてそれは、自分のなさ へと通ずる

 

矛盾を矛盾として矛盾のままに扱う

・・・・

きれいごとだけで

汚いものを見ない、知らないままの    清々しさと

きれいごとも汚いものも、両方知った上で

ヴァランスを取っている 清々しさ =  粋   は

まったく別なもの

 

 

 

すみません

お粗末過ぎで。

興味のある方はインタヴュー記事を

是非ご覧になってみて下さい