この間益田から萩へ向かう電車の中でふと思った
利休の家で朝顔が美しく咲き乱れている
それを聞いた秀吉が利休邸へ出かけて行く
見てみると利休邸に朝顔は1本も見当たらない
痕跡すらない
訝りながらも利休のところへ行ってみると
床の間に朝顔が一輪だけ活けられていた
利休は朝顔を1本だけにする事でその美を凝縮したのだと
これは利休の茶の湯を表すエピソードとして語られているものだが
そうなんかな ?
枝葉じゃないんか ?
利休は相手が秀吉じゃなくてもそうしたのだろうか ?
時が違えてもそうしたのだろうか ?
美が発見するものなら もてなしが相手を敬うものなら
生命感が強く感じられる一輪挿しは好きだけどね
写真は温泉津にて