でっけぇ〜カップ・・・ではありません

hirunesai2009-05-15

8時40分頃起床 今日は有給

2時間ほどぼんやり

11時過ぎに陶苑さんへ

今日は店長さんと澁田先生の御二方

駒形先生の酒呑と泉先生のジョッキ、コーヒーセットで悩む

悩んでいると渡邊先生が御来店

態々此方の方まで来て挨拶して下さる

相変わらず明るい


泉先生のコーヒーカップを選びお支払い

3800円

窖窯らしい胡麻が決めて

腕上げたな、泉先生 って感じ (えらそうに言うな→俺 笑)

支払いの間も会話に加えて頂く

といっても、こぶら返りの話とか 笑

ヤギの牧場の話、備前の山火事の話


澁田先生に伊部手の事について教えて頂く

塗り土でも黒くなるものならぬもの

黒でも透明感のあるものマットな物

乾かして付けるか否か

そこに焼きが加わる

温度が高過ぎてもダメ

付ける時はドべで

うーん、難しいなぁ


陶苑さんを後に職安へ

いまひとつ。無いものだ


Dioでご飯を食べて

再び備前

天保窯と北大窯跡〜忌部神社天津神社をのんびりと

藤田龍峰先生の龍峰窯へ

磨きの事について少し教わる

土は絶えず水簸している

本当に粘土だけなので、そうでないと土が間に合わない

焼きは特に特別ではない

やはり磨くのは手間だと

昭和の初め頃くらいにそういった技術は主流ではなくなったが

うちは初代がやっていたからやっているだけ

でも、それだけではそんな手間も隙も掛かる技術は続けられません

お安いですが3000円の磨きの湯呑みを一つ頂く

使い込むと鉄のような風合いになるそう

楽しみ


その後平川正二先生のところへ

息子さんの忠先生が大学へ講義 (20年も! ) に行かれていたので

平川正二先生直々にお相手して頂く

先生は現在78歳

二十歳から義兄 (鈴木黄哉先生) に師事

他所の窯つきをしたり会社勤めをしたりで食べつなぎ

13年間無給で修行

もちろん今のように技術を簡単には教えてもらえない

宝瓶を求めてお客さんが来られた時鈴木先生の宝瓶が一つも無い

済みませんとお詫びすると

そこにあるが と

そこにあったのは仕事場で使われていた平川先生の宝瓶

えっ!? いや、これは・・

それをくれ と

これが初めて売れた時のエピソード

そのときの事は今でも忘れないと仰られていました


そういう御苦労をされているので

水が漏るだの口作りが悪いだの良いものを作らない (作れない ?)で

名前ばかり有名、値段も高い という先生方に関しては

容赦ない

何をよんなら と

好きですそういう御仁は


なんと製作途中の龍の宝瓶の白地を見せて頂く

蓋と胴の部分に龍が巻き付いたもの

すげー

もちろん細工の作りだけではなく

なんと龍の中は空洞

口の中に玉を入れるだけで半日かかるとか

ちょっとだけ持たさして頂く

が、怖くて 1mm程しか持ち上げられない 笑

轆轤ならその半日で壷 (当然一つ何万円もする) が何個できりゃぁ

蓋物ゆえに蓋がくっ付いたり、細工の一部が取れたり

それに窯疵がでたり

二十万ではとても儲けにならん と

(でも実際はそれよりお安く売られているのです)


作る季節も冷暖房の強い季節はダメ

細工物故に目も疲れるし集中力も要る

先生の宝瓶にはなんと穴が最低でも150個ほど

普通で190数個

穴は大き過ぎれば茶葉が詰まるし

少なかったり小さ過ぎると出が悪くなる

これを注ぎ口を付ける前に空けてしまうのか

大変だ


先生のものはほとんどが手びねり (注文が多数のときは型も使われる とのこと)

細工用の道具だけでもかなりの数とか

作業場は道具を作る道具まで揃っている

澁田先生の鎬用の道具もすごかったもんなぁ


家紋入りのものを頼まれる事も多く

当然そういうものは疵などを考慮して一つ余分に作る

しかし家紋入りなので余所に売るわけにもいかず

結局差し上げてしまわれるとか


御自分用には一番焼けの悪いものを使われる

けど半年もすると良い色になり

結局‘それ’を譲って下さい になり

安く譲ってしまわれる

まぁ割れたと思ぉてあきらめるけどのぉ と笑われてました


鶴の煎茶器も好いし

ぐい呑みも もう これちょっと使えば目茶目茶良くなるしっ なんてものが

はぁ〜どうしよう

少し迷って えいっ とミニ宝瓶を一つ

一万円を八千円に負けて頂く

ふふふ 買っちゃった

因みに一万五千円のミニ宝瓶は中が涼やかなメタリックブルーなものも

はぁ〜良えもん見さしてもうた



さて今夜は早速宝瓶でお茶だ