最近、立花大亀和尚が書かれた
「利休に帰れ」 いま茶の心を問う
を拝読中
まだ半分ほどだけど
凄い本
茶道とは対極にあるオイラにもすごく分かり易い
もちろん分かるといっても、浅〜い浅〜い理解で
分かった内にも入らないような、分かった なんだけど
それでも方向性は合ってたかな ? というところもあり
嬉しい
侘びは始まり というのは間違ってなかった
ただそれは、侘びのほんの一片
ほんの一部分にすぎない
でもそれがほんの一片だと分かったことも
また嬉しい
利休の朝顔は美の集約ではなく
侘びを秀吉に悟らせる
御もてなしだったのだと思う
面接ではなく
腹接だったのだと思う