ああ まだまだだ

先日買った、白洲正子さんの「金平糖の味」を

やっとこ2/3ほど読んだ

気になったとこ、感想


遠見、日本の伝統について (148〜149頁)

お能の伝統は、意外な所に生きていたのである。

お能というより、日本の伝統というべきかも知れない。

        〜中略〜

ある染物の名人も、同じようなことをいっていた。

−−− 加賀友禅の線を描いていると、こまかいので、

つい手元ばかり見つめてしまう。そうすると必ず硬い線が出来上がる。

古い友禅の、あの柔かい、自由な線を出すのには、手元は見ずに、

少し離れた所を眺める、それがわたしの秘訣ですと。

        〜中略〜

まともに仕事と取組んでいる人達は、皆何らかの形で、

同じものをつかんでいる。それが伝統というものの姿であろう。


父、樺山愛輔氏について (187頁)

正直に生きた人は、誰しもこのような矛盾から免れないであろう。

        〜中略〜

たいした仕事は出来なくても、天から授かったたまものを、

十分に生かし得た人間として、やはり一種の人物ではなかったかたと思う



このような仕事や生き方をした時代に戻ることは、もう難しいだろう

だけれども今のような時代だからこそ、古きを温めるべきではないのか



祖父、樺山資紀氏 (162頁)

こわいことがこわいといえる人が、ほんとうの豪傑というものだろう。

   同     (185頁)

祖父は貧しい武家の出で、維新の波に乗って

大臣や何かになったこともあるが、自分から買って出たことは一度もなく、

軍人は政治にかかわってはならないという信念のもとに、

早くに政界を退いた。



今の日本も、もう少しこのような人物が居てくれたら・・



教わるということ (190頁)

しかも、そのものは、とっくの昔にこの私が知っていた事なのだ。

何も新しい事ではない。

が、いったい教わるとか習うとかいうのは、

外から来るものではないだろう。

いつも自分の中に既にあるものをひきだす、・・・



教えるということは、自ら経験させ、あとは見守るしかない

自分と同じ様な人間を育てるのが、教育ではない



焼き物、白洲文平氏の言葉 (188頁)

「せとものは暗闇の中で触ってもすぐ解る、

 解る様にならなければウソだ」



ああ、まだまだだ