「直観を磨くもの」の中で気になったところ

「直観を磨くもの」 −小林秀雄対話集−

気になったところなど抜粋です


実験と精神より

P21 三木清

誰でも自分だけがぶつかっている特殊な問題がある。

そういうものを究めてゆくことが学問だ。


P27 小林秀雄

永遠の観念というものがなければ、

芸術もなければ道徳もないと思っているのだ。


近代の毒より

P37 小林秀雄

それはジャーナリズムが非常に大きな精神の消費面であるにかかわらず、

文化の活潑な生産面だと錯覚する処から来るのだ。


法則と信仰より

P134 湯川秀樹

だから科学というものは結局最後には

法則に対する信仰ということになるわけですね。


P136 湯川秀樹

科学で止っておくか、もっと先まで行ってしまうかですね。

( もっと先=科学を宗教的に信じること )


教育についてより

P136〜137 小林秀雄

それを弟子に仕込むというのが教育の原理でしょう。

それを厳格に行って実際にうまく行かなかったとしても、

それは実際問題で、原理の罪ではない。

     〜( 中略 )〜

個人の尊厳ということは、もっと一般的な道徳原理でしょう。

教育原理ではない。

     〜( 中略 )〜

( 形式化した封建主義教育が個性を無視しただけであって )

それを見て封建主義教育の持っていた厳しさまで

教育から追放して了うというのは間違いでしょう。 


個人主義より

P204 小林秀雄

日本では論戦というものはやらんです。

喧嘩というものになるから。 ( 笑 )


P205 三好達治

批評は本来好意だからね。


古典文化の理解より

P229 小林秀雄

現代の方から歴史を観念的に解釈する傾向があります。

     〜( 中略 )〜

文学も美術も時代の日常生活の裡に溶け込んでいる、

その溶け込んでいるところを直覚するという事が大事だと思うのです。

     〜( 中略 )〜

ある時代の文学的観念、美術的観念を作り上げて了う

     〜( 中略 )〜

昔の人にとって瀬戸物の美しさとは、

それを日常生活で使用することの中にあった。

利休の美学は、そこから生れております。


伝統についてより

P231〜232 小林秀雄

日本人は日本で作られたものを見る修練をしないと

眼の力がなくなります。頭ばかり発達しまして。


P232 小林秀雄

伝統は物なのです。形なのです。


芸についてより

P378〜379 小林秀雄

やれ、美だ何だと言ってるけども、昔の人にとっては、

あれは生活の必需品なんだからね。

     〜( 中略 )〜

大事なものをしまっておこうとか、

     〜( 中略 )〜

だから、壺の姿は、大事なものは大事に取っておいてあげるから

安心し給えという、そう言っているような姿に見えるんだ。

そう、向こうから語りかけてくるんですよ。

     〜( 中略 )〜

壺を見るのではなくて、壺から眺められるという経験が、

壺の姿を納得するコツみたいなもんだな。

( 壺の形が自然の美、安心し給えという姿が本質の美かな ? )


P379 小林秀雄

( インテリは )

美は自分の言うことを聞くと思っているんだ。


音楽談義より

P411 小林秀雄

音楽的な耳というものは、

音楽の記憶を満載した感情をもっているものだ。


出会いの還暦より

P497 河上徹太郎

つまり歴史というものは、そんなところに淀んでいるもんじゃないんだ、

別に流れているんだよ、人間とは別にね。

怖いものだが、決して美しいものではない。



「わかる」ことと「わからないこと」のはざまで

P526 石原千秋

小林秀雄の文章にはある種の型がある。

その時代の実用性が美を鍛えたという結論に至るのである。