6時前の電車に乗り、山陽本線を西へ
糸崎で呉線に乗り換えて 9時過ぎに竹原に到着
予約した 10時迄には、少しばかり時間があるので
道の駅 たけはらへ行き、土産物などを拝見
竹細工がとても美しかったです
頃合いに道の駅たけはらを出て、町並み保存地区へ向かう
町並み保存地区は各地にあるけれども
ここ竹原の保存地区はなかなかに雰囲気が良く
慌ててカメラを取り出す
家々の壁に下げてある 竹製の花入れが
大変に素敵だ
旧笠井邸を過ぎて直ぐ
本日体験をさせて頂く陶工房 風土さんに到着
戸を開けると岩川智子さんが既に準備をしていて
迎えて下さる
挨拶の後で直ぐに体験開始
あちこちで体験をさせてもらっている旨の話をすると
先生の方から、折角ですから西条の土でされます ? との
ありがたいご提案を頂戴する
勿論、ご提案頂いた通り、西条の土で体験をさせて頂くことに
西条の土は少し荒い表情の土なのだが、それでも
どこかに穏かさ、優しさを漂わせる土で
実は下調べで体験をさせて頂ける所を何軒か調べた折
岩川さんのこの ( 西条の ) 土の作品が気に入って
こちらに決めさせて頂いた次第だったので
それだけでテンションが、ぐぐっと上がる
岩川さんは竹原ではないが地元広島の御出身の方で
広島の短大で 陶芸を学ばれた
ただ短大では実質 1年程の期間しか学べず
丁度、陶芸が面白くなってきた頃に止める事になってしまっ為に
社会人になってからもいくらか製作を続けられておられた
そうしてその内にこの世界へすっぽりと入り込んでしまわれたそうで
現在は食器を主に作っておられる
書庫を見ればその人が分かる、ではないが
他の作家さんの食器棚を見てみたいです、と仰られる程に
好奇心旺盛、研究熱心な方で
また元々は絵画をされていたり、着付けもなさったりと
教養の幅が広く、まことに聞き上手なお方で
私にしては珍しく、終始あれこれと会話までも楽しませて頂き
調子に乗って生半な自説を喋り過ぎて
御迷惑ではなかったか、と後になって冷や汗をかいた程
竹原についてもいろいろと教えて頂いた
竹原は塩業と竹細工で栄えた町で
殊に塩業は幾人もの ‘ 浜旦那 ’ と呼ばれる
浜持ちの旦那衆を生み出した程で、赤穂と並ぶ塩の産地だったそうだ
飛騨では、塩が来た との意味で
竹原が来た とまで言われたそうである
また僅か 1km も行かぬ間に照蓮寺、西方寺、長生寺と
三つものお寺さんが構えておられるのも
こうした浜旦那達の寄付に依るところが大きかったそうで
そういった歴史的な背景もあり
現在も町の方々の文化的素養が大変に高く
先生曰く、竹原に来た始めの頃生協の雑誌コーナーの
女性雑誌に紛れて普通に目の眼が並んでいて
それが毎号売れているのに、吃驚しました。とのこと
酒造りも盛んで、直ぐお近くの竹鶴酒造さんには有名な杜氏さん
― その杜氏さんについているファンが大勢いらっしゃるほどの ―
がおられ、理屈ではなく昔の人はこういう方法で作っていたから、
昔の人の使っていた道具はこの寸法だったから、と
大変な拘りと情熱を持っておられる方だとか
ある種現代の人間から見たら異様ともとれる程の拘りではあるが
この杜氏さんの根っこにあるのは、人間としての謙虚さ、であろう
先生の教養の幅が広いことは先にも書いたが
陶芸を始められたばかりの頃は先生も
所謂、お茶碗への反発 をお持ちだったそうで
それがある時、着付けのご縁で誘って頂いたお茶会で
素晴らしいお茶碗に出逢ってから、がらりと変わられ
今では進んで茶道を学ばれていられる
ご縁があり 巡りあった土、釉、人、そして竹原の町
そうしたご縁の中で学び、育てられ、引き出し引き出し合いながら
少しずつ少しずつ
女性らしいやわらかな生き方、と言ってしまえば
そうには違いあるまい
ただ女性らしさも、男らしさも
根っこにあるのはその人の人間らしさなのである
岩川先生、楽しい体験時間をありがとうございました
上段 風土さん体験作品 竹原の町並み保存地区 西方寺
下段 西方寺 竹原の町並み保存地区 竹原の町並み保存地区