先月10日に書いたエントリーの前半
Temple の
Dialogue 光岡英稔さんとの対話/武術を通じて 「 いのち 」 を知る
( 小出遥子さんによる光岡さんのインタヴュー記事 ) を拝読して
光岡さんの凄い、といいますか凄過ぎるお考えを
オイラがなんとか、自分なりに理解してみよう と
勝手に考えて勝手にまとめてしまった こと
自分 = 魂 があるから
こころ、身、身体、思考を感じることが出来る
つまり こころ、身、身体、思考を感じられるということは
それらは、他者 である
こころ、身、身体、思考を他者であると感じることが出来るから
自分 = 魂 の存在が分かる
そしてそれは、自分のなさ へと通ずる
もしかして、この 〝 自分 〟 というものが
「 弓と禅 」で オイゲン・ヘリゲル氏が書かれていた
〝 それ 〟 と同じものなのではないのだろうか