ゲージツとかビジュツについて思う。
以前某所でひねらせてもらっていた時
ある方がやたらと備前焼には芸術性がある と言っていたのが、
引っかかっていたから。
信楽は狸さんのせいで雑器扱いされているなど。
まず表現について。
自分の内側にあるなにかを 外側に向けて動きや形に表すこと。
そして それをまた内側にフィードバックさせる事。
若しくは他者のものをフィードバックさせる。
そして、それらを外へ。
人にみせるのは2次的な事。
その先にゲージツとかビジュツとかがあるんじゃないのか。
それなら、作り手さんの内側にある 使う人への思い遣りやまごころが
器として外側に現れても何も不自然じゃない。
雑器だからゲージツセイが無いとか、ビジュツセイが無いという理屈自体が変。
ゲージツだから、ビジュツだから偉ぇのか ?
幕末・明治にかけて日本にやってきた外国人の多くが驚いたそう。
金持ちだけでなく庶民にいたるまで、その使われているものや道具の美しさに。
まぁ、仕事中だけどね。