心の隙の判断

裁判員裁判で初の死刑求刑

個人的にもそうだと思う

当然だろう

反省している と言いながら

受け取りを拒否される御遺族に

毎日手紙を書く

普通に反省してたら、その御遺族の拒否を受け入れるだろう

求刑は当然だと思う


ただ、ちょっとだけ違和感というか

モヤモヤとしたものを感じる

押尾学受刑者の時もそうだったのだけど

亡くなられた被害者の方について


耳かき店で働いていた

勿論、性的サービスを売りにしたお店ではないのだけど

あきらかに‘女性’であることを売りにしているお店

被害に遭われた女性は月に68万円ほど稼いだこともあったとか

単純に仕事としてみた場合、どうなんだろう ?

真っ当な仕事かな ?

(ご免なさい。敢えて「真っ当な」という表現を使います)


ホステスさんや、それこそ性風俗で働いている女性も

高いお給料を貰うことがあるけど

もっと精神的、肉体的にキツイ仕事をしてると思う

少なくとも耳かき店よりは


勿論、職業がどうだから、人間的になんてことは毛頭思っていない

第一私自身がそんな上等な人間でない

ホステスでも風俗嬢でも本当に良い子もいれば

そうでない性根のひん曲がった子もいる

それは、ホステスでない子、風俗嬢でない子達と何にも変わらない

普通の子だ

普通なのにそういう仕事をしている子達の中には

多感な時期に偶々、人や運に恵まれなかった子もいる

これは、恵まれている人間には分からないかもしれない

恵まれている人間は自分が恵まれていることすら気付かないものだ


少し横道に逸れた


押尾受刑者の時、亡くなられた方は薬物を使用していた


真っ当かな ? という仕事に就いていた

薬物を使用してた

だからといって、命を絶たれる謂れは全くないし

その事をもって人間を貶められることもない

先程も書いたが人や運に恵まれなかっただけかもしれない

それどころか、一見普通の人間として、社会人として暮らしていても

一皮向けば、クズみたいな奴は少なからずいる


真っ当かな ? という仕事で知り合った客

直接的には薬物で

こういった、被害者の隙、落ち度とも言えない心の隙があったこと

もし自分が裁判員として裁かねばならなくなったとき

これを、どう判断したら良いんだろう

責められる必要も無いほどの隙

現にテレビなどでも殆ど触れられていないし

心の隙に関係なく犯罪に巻き込まれることも多々ある


裁判で争われる法律とは直接関係が無いのだろうし

裁判とは法律を基に事実関係を争うものだと言うことも分かってはいる

ただ、何かモヤモヤとする

昔は被害に遭われた方に対しても

心の隙を戒めとするような意見もあったんだけど

最近は滅多に聞かない

なにか常識が変わってしまったような気がする

それが怖い


社会常識で判断を

今日の公判で検察が口にした言葉


気分を害される方もいらっしゃることと思います

すみません