少し前
ああ、絶望してるな
と、思った
日本の経済界や企業というものに呆れ果て
今更期待することも無い、あほくさ
そう感じたのは遥かな昔。今もその考えは変わらない
けれども心の根っこの方で絶望が漂っている
暗く深い絶望ではなく
淡い、春霞のような絶望が
不安ではなく、淡い絶望
数年間派遣として製造業の現場で働き
物の如く扱われたと感じているからだろうか
(現場の人たちではなく、企業に対してね)
偶に風呂屋なんかで、農家の爺様などが
政治についてあーだこーだと不平を言ってるのを聞く
いつも思うのは
でも、あんたらが農協の言うがままに投票してきたんじゃないか
自分らの責任は感じんのか
実際岡山は最後まで、悪い意味での自民王国だった
もちろんオイラ達の世代だって同じこと
後の世代への責任があるし、その責任を果たしているとは到底言い難い
でも、霞のような絶望を感じた後、不図気になった
農業、漁業、林業に携わられている方々は
もっと昔から、この淡い絶望の中でやってきたんじゃないか
目先の事、手前たちの事しか考えない
政治家、官僚、農協が農林水産業をぐちゃぐちゃにしていく中で
日本の農業は規模を大きくしないと駄目だ
一昔前からお題目のように唱えられる言葉
勿論規模を拡大し成功を収められている人もいるけど
実際アメリカなんかでは大規模な農場の経営はかなり苦しいし
生活も質素なものだとか
だからアメリカがあの手この手で言ってくる
うちの農産物買えよ って
経営者として成功を収めることは
社会の目的なのか
個人の目的なのか
普通の人が普通に働き普通に暮らす では、あかんのん ?