道具として利用され、そして奈良時代に突然使用されなくなる
その後昭和初期迄の凡そ1200年もの間
完全に忘れ去られた存在となっていた
この事を考えていた時、田上山のトパーズの話を思い出した
滋賀の田上山では水晶やトパーズが産出し
水晶の方は飾り玉などとして好んで利用されていたのだが
トパーズの方は加工に向かない為に谷底に打ち捨てられていたのだとか
それに目を付けたのが外国の宝石商で
地元の人達を雇ってトパーズを拾わせ、そのまま海外へ持ち帰ってしまった
持ち帰ったトパーズは明治年間で 700kg にも及んだそう
実は結構単純な理由だったりして と、妄想してみた
奴奈川姫の伝説にもある通り古代出雲国の勢力圏内に入っていたのだから
単純に出雲の勾玉、瑪瑙に靡いたのでは ?
翡翠と比べれば瑪瑙の方が加工し易いだろうし
虫川にはメノウの加工所もあったそうだし
違うかな ?
古代出雲国の勢力圏に入ったのがいつ頃のことで
虫川の加工所がどの時代にあったのかは全然知らないんだけど・・・
まあ、妄想ということで御海容
翡翠加工の技術を持つ集団が何らかの理由でこの地を去った
あるいは権力者に排斥されたって線もあるし
逆に出雲に靡いたのではなく古代出雲王朝の没落と共に忘れられていった
若しくは出雲に取って代わった権力者が、敢えて古代出雲などで
威信財として用いられた ( と見られている ) 翡翠を無視していった ?
また他にも出雲の支配層の交代により
高志の国との関係が途絶えたなんて話もあるので、それと共に・・・
はたまた出雲での勾玉作りは弥生時代後期頃からとか
古墳時代に入ってからという話もあるし
本当のところはどうなんだろうね ?
翡翠が再発見されるまでは地元の方々も浜辺に落ちているきれいな石を
翡翠だとは気付かなかったという話らしいから
ほんまに単純に “ 忘れた ! ” だったりして
( 2023年8月19日 追記 )
翡翠の衰退理由の一つとして
大陸の暖色系ガラスの製作が始まったことが
原因の一つと書いてある本がありました
( 本の名前、著者名は失念。失礼 )
瑪瑙など翡翠よりも加工がし易い原材料への変化
好みや流行の移り変わり
現代と然程変わらない理由ですねぇ