秋の名残りを

 
 
 
 
                        磨  奴  箸
                        き  奈  墓
                  秋  三  つ  川  で
                  の  輪  つ  の
                  名  の     玉
                  残  お     を
                  り  山
                  を  の
 

ちんぎれやさんの豆がま口

( 昨日の続きになります )

 

巻向駅から電車を乗り継いで

京都の三条駅で下車

駅から直ぐの ちんぎれや さんに

漢字で書くと、珍裂屋 だそうで

江戸時代、明治時代などの古代裂を扱われておられ

店内には博物館や美術館にあってもおかしくない貴重な裂から

古代裂で仕立てられた豆がま口まで

時代を経たものの美しさと共に並べられている

 

壁に掛けられている裂の金糸の刺繍などは

今では作ることが途轍もなく難しいもので

まず刺繍の技術

一つ一つの縫い目が長い

縫い目が細かければ誤魔化しも利くが

これほどの縫い目の長さであればほんの少しのずれも許されない

次に染料や糸

昔は天然素材のもの

今も天然素材のものはあるのだが

特に植物などは品種改良などもあったりで

その頃のものとは同じものではないし

また、土が違う

土が違うと、仮に植物の方が同じものだったとしても、もうダメ

絹糸なども蚕の品種改良が進み量は取れるようになったのだが

そうなるとやはり、昔のような品質のものは取れなくなってしまった

 

皇后さまが育てておられる蚕の中には

当時と同じ種類の蚕が居るそうなのですが

もう餌にする桑の葉が違う、土が違うで

どうしようもないのだとか

ちんぎれやの御主人の知己の方で、お二人の方が

当時の絹糸の再現に取り組まれたそうですが

費用だけでも莫大なものが必要な上に

費用を掛けたからといって事が上手くいくとは限らない

お二方とも挫折してしまわれたそうです

 

昔の織物を再現される方が資料にと

求めていかれることも多いそうなのですが

やはり、なかなかに再現は難しいそうです

技術的なことが書かれた資料も残っていず

職人の名前が残っていることすら稀であり

そもそも職人としての心積もりからしてが違っていたのだとか

実際に20年ほど途絶えてしまっただけで

その技術はもう失われてしまう

伝統を伝え、受け継いでいく  ということの

凄まじいばかりの途方もなさに愕然としてしまい

失われたことにすら気が付かない

膨大な嘗ての技術のことを思うと

一人の人間の生の短さ儚さを改めて思わずにはいられませんでした

 

その後、昔の化粧道具

銅の鏡や紅を塗るときの刷毛や玉虫色の紅

白粉などを見せて頂き

備前の熊野染の話などを伺たり

( 初めて知りました ! )

とても貴重で興味深いお話を聞かせて頂きました

 

この様に書いてしまうと

とっても敷居が高過ぎてとてもとても、と思ってしまいますが

結構リーズナブルな小物、袋物 ー 当然、古代裂の ー が

並んでおりマニアックに楽しめます

 

豆がま口を一つ頂きました

渋目の赤地に鹿と紅葉の絵

奈良繋がりでこちらを頂戴しました

2000円です

 

ちんぎれやさん、ありがとうございました

 

少しばかり京都の町をふらつき帰途に就く

 

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 奈良で磨いた翡翠の勾玉と頂いた豆がま口

 

 

 

翡翠の勾玉磨き !

朝 5時半過ぎ

みどりの発券機で関西 1デイパスを購入

その後準備を済ませたりして

上郡までの乗車券を買い

始発で GO !

 

10時37分、巻向着

朝の出掛けの冷え込みが嘘のような

少し暖かな日、そのまま箸墓古墳へと向かう

 

7,8人の方が お忙しそうにされている

一人の女性に、予約はしていないけれど

勾玉磨きをしたい旨申し出る

直ぐに O.K.して下さる

今日訪れたのは

ひすい庭園ひみこの庭・工房でんでんむし  さん

箸墓古墳の傍の箸中大池の畔のカフェで

三輪のお山を眺めつつ

勾玉磨きが出来る

パワースポッターにもパワースポッターでない方にも

お勧めしたい場所

 

既にお気付きの方もいらっしゃると思いますが

勾玉 ‘ 作り ’ ではなく 〝 磨き 〟 です

何故、作りではなく、磨き かと申しますと

石が滑石や蝋石のような軟らかい石ではなく

奴奈川の玉 = 糸魚川翡翠、だからです

ある程度勾玉の形に成った翡翠の中から

好みのものを選び、磨いていく という体験なのです

体験料は選ぶ石次第で、8000円、13000円

18000円となります

オーナーさんが仰られるに

勾玉を選ぶ時は手に持ったりせず

じっ と見て、これだ !

と感じるものを選ぶと良い、とのこと

 

オーナー御夫妻のお話を伺いながら

翡翠をじっくり、じっ と拝見

あ、この子は「めっちゃ、良え翡翠」という子が

一番に気になったのです、が

予算の関係上その子は カレーにする ?

いえ、華麗にスルーし

翡翠の結晶がキラキラな子にさせて頂きました

因みに、「めっちゃ、良え翡翠」の子ぉは

透明感のある乳白色で、本気にお勧めです

 

三輪のお山を正面に、箸墓の古墳を右手に

カフェでお茶する美しい女性には背を向け

勾玉磨き開始

道具はサンドペーパーと斜めに置けるように

片方に脚を付け、1本溝が彫ってある磨き台の板

それから磨く時に付けるお水

磨き台に彫った溝に勾玉をはめ込むようにして磨けば

丸っこくし易いです

 

本当に良い天気の中

只管に磨く

暑くなってきたので、途中で上着をクロスアウッ

磨く時の注意事項としては

手が滑って勾玉を落とさないようにすること

すぐ傍の箸中大池にでも落としてしまったら

テレビ局に頼んで・・・笑

 

なかなかに難しい

勾玉自体は単純な形だけれども

円の組み合わせ方や、少し直線を混ぜたりするだけで

全然別な形に成る、ので

少し磨いては全体の形をチェック

チェックしては全体を見て、の繰り返し

やっと、満足 !! となったのは

体験時間の目安が   30分のところを

2時間  強 !  笑

しかも自分の中では 1時間くらいかな ? と思ってた 笑

 

オーナーさんに見て頂き

奥様に選んだ紐を付けて頂き完成 !

満足ーーー !!!

 

お礼を言いお暇しようと思ったら

お昼ごはんを皆さんとご一緒させて頂けることに !

しかもなんと、薪で炊いた炊き立てご飯

美味しいーーーーー !!!!

ご飯の立ち方が素晴らしいです !!!

玉葱の味噌汁に目刺しに梅干

素直に、めっちゃご馳走 !!!

と思いました

お天気の良い晩秋の奈良の屋外で頂く

炊き立ての薪釜ご飯

本当に  ご馳走  様でした

 

お礼を述べて再び巻向駅に向かい

電車に乗り込む、次は京都へ

 

でんでんむし工房の皆様

楽しく穏かな時間をありがとうございました

この根っこのほのぼのとした明るい穏かなお持て成しは

奈良のお持て成し、ならではだと思います

 

皆さんも糸魚川翡翠の勾玉を

自分の手で磨き、完成させてみては如何でしょう ?

楽しいですよ

 

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暫くは休出

今日は休出だた

疲びれた

暫くは 11~12時間の週休 1day

( 残業 2~3時間程、休出 1日含む ) が続きそう

身体持つんか ?

まだ 3週間しか経ってへんのに

既に曜日の感覚もないし  笑

 

 

コンビニを

派遣先が変わると

当然のことながら、日々の生活が

ガラリ、と変化する

仕事内容、勤務時間、休日は固より

人間関係から日常目にする何気ない風景まで・・・

取り合えず・・・通勤経路にある

雑誌を並べるのが早いコンビニを探そうか  笑

 

 

 

へうげろす

へうげものが終わった

最終回も登場人物達の良い顔が見られた

本当に表情の描き方が秀逸な漫画

 

死んで、利休居士の如くに茶人の神に成りながらも

うまうまと その実、生きている ( ? )

利休居士の鉄拳が効いたのか

土壇場で見事な師匠超えを見せてもらった

南方でにまにましながら数寄を追い求める

織部助が目に浮かんでしまう

 

最終回に主人公の織部助がほとんど登場しないのも

( 切腹姿は描かれていたけど切腹後の姿は出ていない )

かえって余韻を醸して

大変に 『 乙 』 でした

 

 

 

あまりにも、予想以上に最終回の余韻があり過ぎて

正直、終わった気がしていない

再来週に目次で ‘ へうげもの ’ を探して

あぁそういえば   ・・・ みたいになってしまいそうな気分

 

 

織部ろす

 

 

へうげろす

 

 

 

根っこがシンプル

野口晴哉bot の呟き
 
人間は生きている。産まれたからである。

生きているから息し、動き、考えるのである。

息し、動き、考えているから生きているのではない。

 

電球を割って光源を探しているのが今までの病理学だ。

しかし、体は影、実在してはいない。

無いものが病んでいる訳が無い。

体にこだわっていてはいのちは見えない。

慧可は腕を切った。南泉は猫を斬った。

いのちは体にあるのではない。

 

 

水木しげる 名言bot の呟き

 

自分の好きなことをやる。そのために人は生まれてきたのだ

 

私には驚く力が常人の十倍ぐらいありました。

81歳を超えたいまでも、「フハッ !」と驚くことが

1日に何度もあるのです。

こうした能力は勉強しても伸びない。

才能なんです。

 

 

人間は生きている。産まれたから

自分の好きなことをやる。そのために人は生まれてきた

体は影、いのちは体にあるのではない

「フハッ !」と驚く力

 

両先生は、根っこの部分がすごくシンプルで素直なんですよね

オイラなんか、比較すること自体が畏れ多いのですが

本当に瑣末な枝葉の先っちょの先っちょで生きています