戦時中に店名を変えられたという
洋菓子店のことが、ネットのニュースサイトで
取り上げられていた
戦争ってやっぱり狂っているのかね ? 何かが
まあ、こういう言い方は、あれかもだけど
我が国の国会議員さんとかも
程度の変わらない揚げ足取りや
似た様な言葉狩りをしているよね ?
変わっていないんじゃないかな、日本人は
今の、人としての善悪の抜け落ちた空気の方が
怖い
ヒステリックな感情論が大手を振って罷り通っているのが
何か、恐ろしい
入って直ぐの王仁三郎氏の観音像 ( 画軸 ) を見た
肩が すと っと落ちて力みが取れる
花山院を思い出す
「出口王仁三郎とその一門の作品展
王仁三郎の世界 ー 耀盌顕現 ー 」
前日にネットでこの展覧のことを知ったので
最終日の今日、慌てて拝見に伺った
当然に図録などは完売しており
その分 何とか脳みそに焼き付けておこうと
会場内を何度も行き来した
素山先生が大本教に入信されておられたことは知っていたが
陶陽先生も入信されていたことや
倉敷御出身の出口日出麿氏のことは存じ上げていなかったので
大本教と岡山が意外にも繋がりがあることを知り
些か驚いた
日出麿氏の書の余白の美
余白が先にあり、その余白が運筆を決めたのではないかと思う程に
すみこさんの天真爛漫、おおらかな書
学校にも行っていない自身の書が評価を受けていることを知り
おかしな世の中になったものだよ、との意味のことを仰られたとか
反骨の精神までもがおおらか
直日さんの美しく格のある画、絵付け
そして王仁三郎氏の耀盌
内は大気大地空日の天地の如く
外の形に溢れる余情
その天地と心をキャンバスとした南欧を想わせる明るく豊かな色彩
王仁三郎氏の眼にはこれが見えておられたのか !
また王仁三郎氏の筆は大地や山河、天地の如く
一門の方々の唯 〝 人間のみ 〟 の現れた作品
私欲など殆ど感じることのない
穏かさ、素直さ、おおらかさ、清々しさ漂う作品
宗教、芸術についてばかりか
自分の中の下卑た美的感覚をも見詰め直す
天国廿八 御遊 潮音 不二 撞き 回青橙 翁
童心の真っ直ぐな素直
高く、素直な技術
そして、祈り
「古今独歩」
名前を名乗らない訪問者は
出る必要がない
ほんまに
先日、岩国での乗り換え時に
電車に忘れてきてしまった本
途中迄読んでいたのだが、ちょっと面白かったのと
この本はある方にお送りした方がよいだろうと思ったのとで
買い直すことにした。2冊
ただ、買い直すことにしたのだが
本のタイトルも著者のお名前すらも覚えていない 笑
まあ、本屋さんに行けば分かるやろ、と
とりま本屋さんへ行った
本屋でうろうろと店内を探すが
全く思い出せない 笑
結局、別な本を二冊購入した
植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち
ダニエル・チャモヴィッツ氏 著 矢野真千子さん 訳
一休 「 禅 」 の言葉
境野勝悟氏 著 の二冊
お目当ての本は、帰宅後ネットで注文した 笑
便利な世の中すなあ ( 棒 )
あ、最初のお目当ての本は
医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす 「 生命の法則 」
でした。
何年前のことだったか
夢であったのか、寝惚けていたのか
霊であったと言ってもよいのか
分からぬが
所謂、霊的な体験の様なものをしたことがある
夜中に目が覚めた
目が覚めたのか、目が覚めた夢であったのか
分からない
女の声で、ぁ---- と聞こえる
聞こえるといっても、耳から聞こえるのではなく
身体の中から、延髄の辺りから聞こえてくる
1m 程のところに、女の人が居るな と感じた
その瞬間
顎が、カクカクカクカク 勝手に動き出した
後で思い返してもみたのだが、痙攣といった類のものではない
筋肉には全く力が入っておらず、骨だけが動いていた
下顎が勝手に上下して、歯と歯がぶつかり合い
カッチャンカッチャン聞こえてくる
まるでしゃれこうべが笑っているかの様な状態で
そのカッチャンカッチャンをどこか人事の様に聞いていた
そしてそのまま気を失ったものか、再び眠りに落ちたものか
何れにしても、数日もせぬ間に忘れていた
それから何週間か何ヶ月か経ったのかは分からないが
ドライヴに出かけた
ドライヴといっても単なる暇潰しのドライヴで
目的地なども特にないドライヴ
そのような時、当時はよく地図を広げて
ここの神社、とかこの滝といった具合に
適当な目的地を見繕ってドライヴに出掛けていた
その日は A 町の神社を目的地に選んだのだが
地図に載っているといっても小さな神社であったらしく
幹線道路から神社の方へ入る道がよく分からなかった
まあ元々、その神社に行きたかったという訳でもなかったので
そのまま A 町を通り過ぎ、津山まで行って
そのまま折り返し、また A 町迄戻って来た
そこで休憩がてらに自販機で買ったジュースを飲んだ
そういやぁ、神社に行くとかようたっけ
不図思い出した
地図を広げ
最初のとかぁ、よぉ分からんかったけぇ、別な神社でえかろう
と、考え、今度は同じ A 町でも道筋の分かり易い神社を選んだ
少し迷ったが、選んだ神社に到着
日は大分に西に傾き夕闇が迫りつつある
普通は表からお参りするのだが、表側の石段の周りには
田んぼがあるばかりで、車を止められる様な場所がない
仕方なく裏手に廻ると、裏手は竹薮になっており
車を 3,4台止められるスペースがある
そこに車を止め、竹薮の中の土と木で作られた階段を上っていく
階段を登りきったところで、ちょっと戸惑う
前日の台風の所為なのだろう、丁度竹薮が切れて境内へ入る所の竹が
二、三本折れて、境内への道を塞ぐような格好になっている
・・・入るなってこと・・・とも考えたのだが
折角来たんじゃし、と境内に入った
境内の中は、数ヵ所に落ち葉などが纏められきれいにされている
地元の方が台風の後片付けをされたのだろう
幾つかある祠の中の一番近くにあるものに手を合わせてから帰ろう、と考え
祠の段を登る
・・中に、女の人が居る・・・
そう思った瞬間に、膝がガクガクガクガクと震えだした
え !?
取り合えず、祠の中の女性に手を合わせ
お騒がせして申し訳ありませんでした、と心の中でお詫びし
祠の段を下りた
下りたところで、ピタッ と膝の震えが止まる
祠の段は二、三段
最初に登って来た竹薮の階段とても二、三十段程のもので
膝がガクガクと震える程でもない
もう一度 祠に手を合わせ、お詫びをする
もう一度 境内を見渡す
田舎の小さな神社で、特に何もない
辺りは既に暗くなり始めている
さて、帰るか と元来た道を歩き出す
一瞬無意識になっていた
あれ ?
意識が戻ってから無意識となっていたことに気が付く
無意識になっていたことに気が付くと同時にまた
自分が何かを食い入るように凝視している、ことに気が付く
俺はそんなに、何を見とんねん ?
ぐぐぅぅぅっと、凝視している
それは、石 だった
寄付をされた方のお名前や寄付をされた金額が彫られた石の
土台になっている石
形はきちんとした形ではなく、自然石に近い形の台になっている
石
その石をぐぐぅぅぅぅっ と凝視している
石を凝視していると気付いた瞬間
やばい
と感じた
こいつは人の一人か二人殺している
そんな、やばさを感じ、感じると同時に、これが地縛霊かと
とにかく急いで車に戻る
地面から手が出てきたり、背中を押されるかもしれない
そんなことを考えながら
後ろを振り向き足元を見ながら、急ぎ足で車に戻る
車に戻りエンジンをかけ、急いで車を出す
幹線道路に戻ったところで、やっと人心地付いた
人心地付いてやっと余裕が出来たからだろう
不図思い出した
あの、祠の女の人・・いつか夜中に来た女の人・・・
まあ、思い込みっちゃー思い込み
びびってそんなことを感じただけ
なのかもしれない
ただ体験した本人は今でも時々思い出し
思い出したときにはよく、気配のようなものを感じる
以前に養老孟司先生の御本の中で
元々仏教では、霊というものはそういう現象だ
という捉え方をしていて、その現象が霊か如何かなどということよりも
その霊現象をどのように受け止めるのか、の方が大事
といった意味のことが書かれていた
で、今回このことを思い出したときに
最初の顎がカクカクというやつが
あれ ? 若しかして、骨で動く、というのはこういうことじゃね ?
と、今更ながらに気が付いた
気付くのが遅過ぎだろ >> 俺 笑
一月はワン
二月はニャー
三月はウッキー
早いなあ、もう四分の一かあ
朝
日 山
田 に 陰
土 輝 線
草 く