閑山先生

hirunesai2008-09-27

前日備前陶苑さんのwebshopあながまの陶庵さんのブログ

あやしい店長の備前焼ブログで鷹取閑山先生の手びねりの湯呑みを見る

瞬間 下手やなぁ〜 と

でも気になる

他の閑山先生の焼き物も見る

悲しいまでに

そう思った

けど、その先が分からない出てこない

欲しい

無性に先生の焼き物が欲しくなった


午後、備前陶苑さんへ

いろいろ見てまわる いいなぁ

手頃な値段で欲しくなるものがあちこちに

イメージ通りのやさしく品のある店長さんが

なんでも聞いてくださいと声を掛けて下さる

一生懸命見ているからと

いやはや つい。すみませんです


閑山先生の作品はイメージしていたものよりずっと小さかった

ぐい呑み (5800円) を頂く


あちこち寄り道をしたので晩方になってぐい呑みでお茶を頂く

普通ここまでの焼きなら力強さとか

下手をすると余計な主張とかしてきそうな気もするのだが

先生のぐい呑みは何も語らない

ただ寡黙で美しく

そして見込みは温かく穏やか

ブログで描かれていた閑山先生の人柄そのままのぐい呑み

先生のご家族、お弟子さん そしてファンの方々には怒られるだろうが

銘 閑山先生 

と付けさせて頂いた





あやしい店長さんのブログより

閑山先生は土と対話してたんだろうか?
目を細めて土を見ていたけれど、あれ対話かな?
違うと思う。

先生は土が可愛かっただけ。
土をいつくしんでいただけ。
ありのままを愛しただけ。

見事な手びねりだとおもう。
人生だと思う、達観だとおもう。




つまり、土なのだ。

みんなが褒めるびぜん土の長所を、ことさらに引っ張り出さなかった。

そのことで、つちのあじわいを原点に戻した。

小橋さんは閑山先生の最後の弟子だ。

閑山先生はどの弟子に聞いても、「何にも教わらなかった」と言う。

弟子たちは教わらない分、自分で体験を重ねて行った。

「叱られた覚えがない」

だから、ワクに嵌らなかった。

閑山先生と大学院の恩師

この二人の影響だと知って初めて謎が解けた。

彼はたぶん、備前焼に何かを持ち込む。

忘れている何かなのかもしれない。

閑山先生は継承すべき閑山流は何も残さなかった。

でもそのことで、小橋順明さんのような弟子を何人も遺した。

この人たちが備前焼の流れを変える、店長は一人そう思う。

〜後半略〜



限界まで焼きこんで、土を溶かし土目を締める。

焼き締め陶が備前焼だと固く信じていた人だった。

黙って何時間でも炎を見ている人だった。

夜陰にまぎれてしばらく見ていると・・・

「ああ・あんたか」

(順調?)

「こんなもんじゃろう」

土を知り、土に負荷をかけていることを「すまんのお」と思っている人だった。

こんな人 もういない。