先生、形は ?

hirunesai2009-11-05

早勤明け休み。少し寝不ぅ

11時過ぎ 陶苑さんへ

おぉ、今日は開いてる

店長さんに伺うと

最近は早く閉めることもあるそうです

そして

その奥には

なんと

駒形先生がいらっしゃる

そして、なんでも聞いて下さい と

いや、もう、何をお聞きしたらよいのやら

どぎまぎしながらも

ちゃっかり質問  笑



二度焼きの時の色の変化について

最初の焼成よりも高い温度で焼けば、少し色味は変わるかもとの事


五一郎先生の一月にもおよぶ窯焚き

意図的に500度くらいまで、温度を下げたりしたのではないか

だから胡麻が一度固まり、その上にまた胡麻が掛かるので

おもしろい胡麻になるんじゃないかな


マーブルの土作りは水簸より10倍以上の手間がかかる

原土を小豆くらいまでに砕き、水を加える

水加減は丁度。多過ぎるてはダメ、土が混ざってしまうので

その後、 そーーーーーーーー  と運び、スライスして石より

なので窯詰め出来るのは全体の1、2割

川端先生はお弟子さんが多いのでもっと一杯できるけど と


マーブルになる土は備前でも東手の山の方の土


塗り土に使われている白い土も備前の土

東手の池の方の土とか

もしかしたら昔の白備前もこれと同じ土かもしれない


備前の土は丹波や越前よりも鉄分が少ない

備前で5%ぐらい (てっきり備前の方が多いのだと思ってました)

丹波などでは白っぽい焼けは難しい


白洲次郎はかっこいい

骨っぽさはある種、身分から

価値基準の無い世界

中途半端な民主主義

倫理

自由の裏にある重いもの


酸化焼成は無造作に薪をくべられない

還元で熾きを均一に溜めるのは難しい


先生が備前に来られたころは窯元、作家さんなど30人ほど

新幹線の倉敷までの開通、高度経済成長などを背景に

40年ほどで少なく見ても13倍以上に


穴窯

当時の備前では途絶えていた焼成技術

お金になる桟切り、ころがしがほとんど取れない

始めの頃ペケ率は50%

更に良い焼けのものはその内の50%

森陶岳先生の直弟子である清水先生はまだしも

師匠をもたない先生は悪戦苦闘


寒風の土に最初に目を付ける

トラックから田んぼにこぼれた灰色の土を見て清水先生と

使えるかも !!

土建屋さんに譲ってもらいテスト。 使える !!!

使えるとの噂が拡まり、土建屋さんが土の値を上げてしまう

土建屋さんと先生が一緒になって値を上げていると思ったある先生が

先生のとこに怒鳴り込んでくる


鶴首

献上徳利。現存するものが少ない

難しい

古いもので紫のポツポツがある鶴首がある

ある作家さんは再現するのに後から紫の土を自分で付けた (真偽のほどは不明)

陶岳先生は後に再現された


相生大窯

駒形先生、清水先生、星先生、山内先生

焚いても焚いても、煙が出ない

焼き上がりの大多数が、すっきりとした白

これだ !! これでいこう !!!

流れが変わる 大きな大きな転機

この時から備前の穴窯は酸化焼成の流れに !!!


隠崎先生

平面だけの仕事では満足できない

淳先生が他の先生のところからスカウト

弟子時代、下働きは無し。最初から轆轤を挽くことを認められていた

そこまで認めていた淳先生も凄い

備前や有名な先生のものではなく

自分の中にあるデザインを作りたいと

だからスタートから自由

自由なのに、なぜ備前なのか ?

デザイン的に遅れているのと土味の強さなのではないか

土でないと表現しえない質感


犬の散歩中、女子中学生のテストを拾った話

0点だった


陶岳先生

六姓の血への想いと責任


牛窓にいた一人の作家さん



貴重ーーーーなお話、有難う御座います

もう、実際に御本人からお聞きできるなんて

最高です !!

店長さんに「本にする義務がある」と言われましたけど

本当にそのくらい貴重なお話でした



また工房の方にも電話してから来て下さいと仰って頂きましたが

本当にお邪魔させてもぉても良えんでしょうか !?



作り手として 、一人の人間として

素直な目とスタンス

格好良い大人が身近にいないからと言ったとき

それを言われると申し訳ありませんと、すっと頭を下げられた先生

骨っぽさがあるからこそ

とても格好良かったです



先生、形はどういった ? (モチーフとかあるんですか ? )

これ (と御自分の名前を指差して)

えっ ???

駒‘かたち’

えぇーー !!??  笑笑


という事で、駒‘形’な三足ぐい呑みを一つ

お値段は・・・・内緒

負けて下さり過ぎなので、書けませむ


帰り際時計を見ると、14時過ぎ

先生、店長さん

本当にありがとうございました