結果責任  若泉 敬

日本VSカメルーン戦があった時間

NHKスペシャル

密使 若泉敬
 沖縄返還の代償

という番組が放送された

佐藤栄作総理(当時)の密使として

沖縄返還交渉にあたった人物


沖縄の日本返還

復興後の悲願であったが、外務省の交渉は難航した

問題はアメリカが核の撤去に応じるか

若泉氏は佐藤氏の密使として、留学時代の友人であり

アメリカの国家安全保障会議の主要メンバーでもある

モートン・ハルペリンとの交渉にあたった


アメリカは核の撤去に頑として応じない

撤去するのなら、有事の際 核の持ち込みを認める密約を要求してきた

佐藤、若泉両氏はこの要求を受け入れることで

沖縄返還を成し遂げた


これにより日米関係は強化されたが

沖縄の基地の固定化を招いた


佐藤氏は基地を段階的に縮小させる姿勢を示していた


佐藤氏は二年後、非核三原則を評価され

ノーベル平和賞を受賞


若泉氏は政界から距離を置き、表舞台からは身を引いていく



1992年、沖縄復帰20周年記念式典と同時に

沖縄返還を検証する会議が開かれた

その席で機密解除されたアメリカの文書が公開された

アメリカの狙いは、沖縄に核兵器を置き続けることではなく

朝鮮半島ベトナム、台湾などに関連して

沖縄の‘基地を’期限を定めず‘自由に使用する’ことだった

(交渉当時核兵器をどこからでも発射できる態勢が既に整いつつあった)

核の撤去は単なる交渉カードに過ぎなかったのだ

若泉氏は愕然とした

基地の固定化は自分にも責任がある


94年氏は本を出版する

他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス

この中で‘密約’についても公開した

氏は国会に呼ばれる事も覚悟し

ただ議論が高まってくれることを期していた


しかし柿沢外相(当時)は密約を否定

国会での追及もなく、社会も関心を持たない

沖縄県議会さえ、反応は無かった


斉藤邦彦外務事務次官(当時)は番組のインタビューで

(返還が成されたので)もう済んだ問題だ という感じが外務省にはあった

と語った


翌年沖縄で事件が起こる

12歳の少女がアメリカ海兵隊の兵士3名に暴行された



返還されたから自分の仕事が終わったのではない

若泉氏は沖縄を訪れる度

町の人々に問いかけた

本当に復帰されて良かったのですか ?

これで良かったのですか ?


末期癌により余命僅かと知らされていた

氏は沖縄県民、大田昌秀沖縄県知事 (当時)宛てに

歎願状という名目の遺書を書き

96年7月、自裁された


自分が携わった交渉の‘結果責任’に対して

自らの死を選ばれた