因果応報

立花大亀和尚の「利休に帰れ」を読み終わった

侘びのことだけでなくお茶や禅のこと、その他諸々

感じるところ、学ばさせて頂くところの多い本でした


因果応報

最近ではただの損得勘定くらいか

下手をすれば壺とか判子とかに成り下がっているもの

しかしながら、かつては

とても謙虚に事象を受け止めて

そこから前に進むということではなかったかと初めて感じた

個人を越えた時間空間で事象を捉えることで

現在を謙虚に受け止める

人が自然の袂で暮らしていた頃はそういうものではなかったか

ひょっとすると、昔の人の個人とか自分という感覚は

今の人間のそれと、全く別なものだったのではないだろうか

生かされているという実感が、色濃く伴っていたのではないか


廻るもの

空と色

無と有

有があるから無が目に映るが

無があるから有がある

それ故に悪神は祓うのではなく

丁重にお祀りしてお帰りを頂くもの

一期一会

上がりと振り込み ?


労働が機械化される以前は

作り出されるものすべてに個性があった

工芸品、日常品は固より

農作物一つとっても、各家によって味が違うものであった

働くこと、すなわち暮らしぶりが個性に届いていた

今の人間が個性個性と追い求めるのは

決して、便利な世の中になり、余裕が出来たからではない

嘗ての暮らしの中には当たり前に在ったものが

失われ見えなくなったからだ