仏像を造る思ひ

今回の九州旅行の前

白洲正子 “ほんもの”の生活 をパラパラとめくっていた

李朝中期の絵堅手茶碗(十九頁)を見たとき、不図

仏様を見ているときと同じ心持ちになった

そのとき、ひょっとしてこの茶碗も、西行法師の歌の如くに

一体の仏像を造る思ひをなし、て造られたのではないのか

と思い浮かんだ


一昨日の鏡山窯さんの体験のとき

西行法師の、仏像を造る思ひを云々というのを意識していたのは

そのためです

まあ、最初の10分ほどでしたが  笑