小山の宿を早朝に発ち
JR両毛線に乗り佐野迄出て
佐野で東武佐野線の葛生行きに乗り換える
乗り換えてから三駅
田沼家縁の地、田沼で電車を降りる
そこから佐野市の市営バス さーのって号の飛駒線に乗り
二十分弱、閑馬町のバス停宮内で降りる
本当は一つ手前の馬場 ( ばんば ) のバス停が
最寄のバス停となるのだが、体験開始の十時迄
一時間半程時間がある為、示現神社にお参りをする
山間の小さな町の神社にしては彫刻などがあちこちに施されており
狛犬もどこかユーモラスで力強く、ありきたりのものではない
バスで来る途中の道々にも石像などが残っていた
後で伺ったのだが、これらの石像は道祖神とのお話で
遡ればここ閑馬の辺りは京の阿闍梨とも縁のある土地らしい
十時前、そろそろ と思い示現神社から
本日、藍染めの体験をさせて頂くことになっている
紺邑さんへと向かう
直ぐに分かる、と高を括っていたら
案内の看板を見落としてしまい
電話をして大川さんに迎えに来て頂くはめとなり
体験を始める前からご迷惑をお掛けしてしまう
早速、工房に入れて頂く
成程、確かに藍の匂いなどしない
染め液も見せて頂くと本当に茶色で
所謂藍の華もない
工房に著名な藍染めの作家が来られた折に
( 藍が ) 建っていないね、と言われたこともあるのだそうだが
そうではない
ただ、藍の建て方がまったく違うのである
今日お世話になる 紺邑の大川公一さんは
若い頃は音楽の仕事をされていらしたのだが
三十歳頃から父君の染め屋の手伝いを始められ
その後独立され佐野の閑馬の地に御自分の
藍染めの工房、紺邑を構えられた
先程も申したが紺邑さんの藍の建て方は他とは違う
現在の日本で多く行われている、灰汁発酵建てではなく
「 正藍染 」 と言われる方法で
蒅と堅木の灰から取った灰汁だけで建てられる
本当に〝 昔ながらの日本の藍染め 〟である
このことを紺邑さんの SNS で知ったときは
本当に衝撃であった
以前に徳島と奈良で藍染めの体験をさせて頂いたことがある
昔ながらの日本の藍染め、 ― 灰汁発酵建て ― で
その時は美しいと思い、伝統的な方法だ、と感動もしたのだが
それが間違っている、と書かれている
本当に衝撃であった、のだが
大川さんの書かれておられることを読むと
成程、と腑に落ちることも多いし
何よりも、画像や動画の藍の色の違い
その美しさ ! は目を見張るものがある
これはあれこれと考えるよりも
実際に拝見した方が早かろうと体験にお邪魔した
正藍染は ph の調整や毎日攪拌をする
などといったことは必要がない
消石灰も日本酒も要らない
こう書いてしまうと何やら手間暇が少ないように思えるのだが
そうではない
蒅と灰汁だけで後は微生物の働きによって建てる
純粋に微生物の発酵のみで建てられる藍建てだ
シンプルといってしまえばシンプルであるのだが
時にシンプルなこと程、難しく
そして技術や経験の違いが如実に表れるものはないのである
相手はものも言わない、目にも見えない微生物である
しかもどこにでも居る微生物ではなく
蒅の中に居る微生物だそうで
大川さんは、蒅は伝統の智恵の結晶です と言われる
この様な建て方である為、知識と経験
また、知識と経験を生かす為の気付きや飽くなき向上心
それらに因る勘、がなければ
とても建てられるものではない
しかも正藍染、は現在の日本ではほとんど風前の灯の様な有様である
大川さんのこれまでの御苦労御苦心は
生半なものであろう筈がない
然しながら今ではそのお陰で染め液を見ただけで
微生物が何を求め、或いは何が足りなくて
それに対して何を如何すればよいのかが分かるそうである
そして、そうやって三十年、四十年も掛けて
築いて来られた 御自身の「 正藍染 」 を
大川さんは惜しげもなく、講習会や、果ては私達体験者に迄
教えて下さり、実際に見せて下さる
正藍染で藍を建てて来られた御苦労御苦心ばかりでなく
更に 教える、ということ
伝える、ということの難しさ御苦心まで買って出て
伝えていかなければ、と気を吐かれる
そうすることが大川さん御自身にとって
然も当たり前のことであり、自然のことであるかの様に
ただ、淡々と気を吐いておられるのである
利いた風な口を、と笑われてしまうだろうが
情緒
真、善、美 だと言ってまったく差し支えがないものだと思う
日本の藍が持つ美しさ、だけではない
一人の 藍染め職人の仕事、その生き方が染め上げた
真、善、美である
デニムを二日掛けて染めさせて頂いた
白色だったデニムが透明感のある美しい
本当に美しい、初めて見る藍色に染まっている
普段藍染めとほとんど縁を持たぬ私の如き者が
美しい日本の藍染めに出会えることが出来たのも
大川さんの「 正藍染 」のお陰である
大川さん、紺邑の皆様方 ありがとうございました